協調性は、必ず必要なのか。
協調性は、どんな場面でも必要なのでしょうか。
私は、必要でない場面もあると考えています。
貴乃花親方の引退騒動やこれまでの言動などで
「協調性がない」という意見があります。
「周りに合わせろ!」と言うことでしょうか。
でもそれでは改革はできません。
周りに合わせてばかりいては、協会は変わらないままです。
周りが間違っていると思う場合でも、
周りに合わせないといけないのでしょうか?
大切なことは、協会の可能性を信じられることができるかです。
協会の可能性を信じることができれば、
今はダメでも良くなると信じて、
我慢して周りに合わせられることでしょう。
「協調性がない」と言う前に、
協会の可能性を信じられるようにするほうが良いのです。
でも、それができない。
だから、周りに合わせられない。だから、出ていく。
貴乃花親方の言動は、
私にとっては理解できないほどのものではありません。
貴乃花親方は、
協会の可能性を信じることができなくなったのでしょう。
安易に「協調性がない」と言うのは良くないと思うのです。
なぜ協会の可能性を信じられなくなったのか、
どうしたら協会の可能性を信じられるようになるのか
をみんなで考えていかなくてはいけないと思うのです。